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ビットコインが守れる自由と、守れない自由
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- yutaro

米国の思想誌『Claremont Review of Books』で、「Ghosts in the Machine」という興味深い評論を読みました。取り上げられていたのは、技術の進歩によって人間の生き方がどう変わっていくのかを問う二冊の本です。
その一冊で作家のポール・キングスノースは、現代社会を「機械」と呼んでいます。ここでいう機械とはスマートフォンやAIだけではありません。便利さや効率、成長を追い求めるうちに、人間の暮らしや価値観までがその仕組みに合わせて形づくられていくという問題です。
評論では人間の心さえソフトウェアのように捉え、改良し続けられるものとみなす考え方にも疑問が投げかけられています。
もちろん、技術のおかげで僕たちの生活が豊かになったことも確かです。ただ、評論を読みながら一つの疑問が浮かびました。
できることが増えるほど、僕たちは自由になっているのでしょうか。
便利さは、自由と同じなのか
スマートフォンがあれば世界中の情報を手に入れ、買い物も仕事もできます。AIを使えば。以前なら何時間もかかった作業を短い時間で終えられることもあります。
その一方で、通知が来れば反応し、誰かの投稿を眺め、次々と勧められる情報を追い続ける。道具を使っているつもりが、いつの間にか道具に時間の使い方を決められているような感覚もあります。
ここには少し厄介な違いがあります。
何でもできることと、自分が本当にしたいことを選べることは同じではありません。
この問いはビットコインにも向けることができます。
ビットコインには銀行や企業に資産の管理を全面的に任せず、自分で保有し、送金できる仕組みがあります。お金を動かすための選択肢が増えることは確かに大きな自由です。
しかし、仮に自分でお金を管理できるようになっても、一日中価格の変動を気にし、画面から離れられないとしたら、それだけで自由になったと言えるでしょうか。
ビットコインが優れた仕組みであることと、それを持つ人が自由に生きられることは別の話なのだと思います。
技術は、人生の目的まで決められない
キングスノースが問題にしているのは、人間が土地や家族、地域社会とのつながりを失い、消費や効率ばかりを追うようになることです。その主張のすべてに同意する必要はありませんが、技術を何のために使うのかという問いは、僕にも大切に思えます。
ビットコインは僕たちの人生の目的を教えてくれません。誰と暮らし、何に時間を使い、どんな社会をつくりたいのか。それは自分で考えて選ぶしかありません。
むしろビットコインの価値は、そうした選択を他人に委ねなくても済む余地を、お金の面から広げられることにあるのでしょう。
技術が進歩すれば、僕たちはますます多くのことを機械に任せられるようになります。
だからこそ最後まで手放してはいけないものがあると思います。
機械に任せる作業が増えても、何を大切にして生きるかまで任せないことです。
自由になるための技術が、いつの間にか人生の目的になってしまわないように。
ビットコインによって自分のお金を管理できることは、自由の完成ではありません。その自由を使って、自分の人生をどう生きるのか。
僕はそこまで考えてこそ、この技術を持つ意味があるのだと思います。